前回までのお話:1937年、昭和恐慌で疲弊する農民を救済すると唱える教育者と満州国にある関東軍の思惑が重なり、満蒙開拓団の本格的移民期に、南満州鉄道の技師として満州国に赴いた弘と妻綾子。日本の敗戦色が濃くなり、大事をとって綾子と幼い娘二人を先に日本に帰国させた弘は終戦を満州で迎え、鉄道関係の労働の為にシベリアに抑留されていたが1954年に舞鶴港に降り立った。
一方、綾子が満州でお気に入りだった和菓子屋で奉公していた弥平は、終戦後命からがらハルピンの難民避難所にたどり着いていた。
久留米市下田の実家では、親戚は勿論のこと、近所の人たちまで集まり、弘の帰国を祝って夜通し宴会が催された。季節は春で庭の桜が美しく、桜の花びらが散るのを見てようやく弘は日本に戻れたことを実感した。目の前のご馳走や酒を思い切り堪能しようとしたものの、長年収容所で粗末な食事が続いたたため、思うように胃が受け付けてはくれなかった。村の世話役の人がお酌をしにやってきた。
「長年のお勤め本当にご苦労だったたいね。ささ、一献」
「ありがとうございます。綾子や娘たちが大変お世話になったとでしょう」
「いや、そげんことはなかとよ。綾ちゃんも女手一つでようがんばとったけん」
「村にご恩返しが出来るよう、頑張るつもりですたい」
「ああ、その件たいね。いやー、こんな小さな村やけんが、弘君にふさわしい仕事がなかとじゃないか 村じゅうで心配しとうとばい」
「え、意味がよく分からんとです」
「その、つまり、満鉄の技師さんゆうたら難しか仕事ばしとったったいね」
「そげんことなかとです。ソビエトでは単純作業も多かったとですけん」
「そんなら、よかったけんが、この村以外でよか仕事ば見つけんしゃいね」
弘は翌日 村役場に出向いて早速仕事を探し始めた。
「元満鉄に勤めていた技師で、帰国したばかりですたい」
と言った途端に担当者の表情がこわばったのが分かった。
「あっ、そげんこつなら、別の場所で仕事を探したほうがよかね」
と取り合ってもらえなかったのだった。更に恩給のことなどを尋ねようとしたところ
「軍人でもなかし、満鉄は満州国にあった特殊法人やけん、日本からは何の補償もなかと」
と簡単にあしらわれて衝撃を受けた。
「綾子、満鉄でもソ連の収容所でも、お国のためと信じて辛抱しとったけんが、どげんこつになっとうとばい」
「弘さん、言えんかったことがあっとです」
「何ね」
「満鉄に勤めてたこと、シベリアから戻ってきたこと、言わん方がよか雰囲気ですたい」
「そぎゃん雰囲気があっとね?」
「生活に困って土地を売らんといかんごとなって、夫がシベリアに居る言うたらアカの家族言われて 二束三文に叩かれたったい」
「そぎゃんことまで!」
弘は絶句した。しかし、舞鶴港に入港したとき、綾子には言わなかったが、官憲から思想についてしつこく尋ねられたことを思い出した。あの時は意味が分からなかったが、長年のシベリア生活で共産主義に転向したと疑われているのではないかと思い当たった。
弘は元満鉄職員に仕事を斡旋するという「満鉄会」に連絡してみた。
「お住まいの近くではありませんが、宮崎県高原町で元満鉄社員が建設会社をしていて、そちらならご紹介できます」
と返事をもらい、親子4人で村から逃げ出すように宮崎県に引っ越すことに決めた。一級建築士の資格を持っていたために採用されたようだったが、給料は10万円しか貰えず、不便な場所にある狭い家から自転車で通勤し親子4人暮らすのがやっとだった。ひとつだけ良かったことは弘45歳にして3人目の娘が生まれ家族が増えたことだった。
長年のシベリア抑留生活のためか、その後まもなく弘は体を壊し、高校生になった娘たちの進学問題もあって宮崎から久留米に戻ってきた。弘は寝たきりでいることが多くなり、病床で夢をよく見るようになっていた。
故郷の村で皆に祝福されて結婚したこと。新妻綾子を連れ夢と希望に溢れて中国に渡り、真新しい官舎で暮らし始め、技師として南満州鉄道で大きなプロジェクトを完成させたこと。同僚たちも新婚カップルが多く、我が家には昌子と宏子が生まれ、同僚たちにも次々と子供が生まれ、お互いの部屋を行き来してはお祝いしあったこと。少し大きくなった娘たちと外出する時にはヤンチョ(人力車)に乗って出かけ、妻や娘たちが喜んでいたこと。そんな幸せな場面が夢に現れると、もう一度スローモションフィルムのように頭の中で再現してみた。
そうかと思えば、突然進行してきたソビエト軍の強面の兵士たちに、鉄道施設を解体させられ、どこへ行くかも分からない貨車にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれ、明らかに日本とは反対側の西へ西へと連れて行かれた時の不安がまざまざと蘇り、収容所で朝を迎えた錯覚に陥って呆然としていると夢だと分かって安堵したり、シベリアの収容所で配給された食事用の空き缶を、厳冬で手がかじかんでいても雪で洗っている自分のそばで、それを怠って腸チフスに倒れた同僚達が無念を口にしながら一人二人と亡くなっていく場面が現れ、現実に戻って急いで心の中で手を合わせたりの繰り返しだった。
長女の昌子は家計を助けるために夏休みは親戚の家でアルバイトをするようになっていたが、高校卒業後もそのまま親戚の家から職場似通った。親戚は陸上自衛隊基地の中のPXと呼ばれる売店での販売権を持っていて、昌子はPXで売り子をしていた。ほとんどが男性の職場だったこともあり、PXで働くようになって程なく何人かの隊員に付き合って欲しいと声をかけられた。昌子をPXに送り出していた親戚からは、若い女性と見たら誰にでも声をかける連中だから、いちいち気にすることはないと言われていたが、どう断っても諦めない隊員が居て、昌子もついに折れて親に紹介することになった 。
「初めまして。江藤弥平と申します。昌子さんと是非結婚を前提にお付き合いさせてください」
「自衛隊言うたら危険な仕事ばせんといけんとじゃなかと?」
「お義父さん、そぎゃんこつはなかとです。自衛隊は日本の防衛の為だけにあって、決して戦争なんかせんとです」
「日本を占領していたアメリカから頼まれたら、嫌とは言えんとじゃなかとね」
「そぎゃんこつは絶対になかとです。国際連盟が日本が戦争をすることを認めんし、中国や朝鮮も黙っとらんとです」
「自衛隊は戦争もせんのに軍事訓練しとるようばってんが」
「いざとなったら日本を守らんといけんし、訓練は災害救助にも 役立っとるとです」
お茶や食事の支度をしていた綾子がそこで初めて口を挟んだ。
「弥平さん言うたら満州にあった和菓子屋の?」
「あっ、野中のおばちゃんじゃなかとですか」
「弥平さんも無事に帰国できとったなんてよかったばい」
「何だ、綾子、満州で会っとったと?」
「羊羹ば、よく買いよったとです」
「縁があったとばいね」
こうして昌子と弥平の結婚話はトントン拍子に進んだように見えたが、実は正式に付き合いを申し込む前に弥平は綾子と申し合わせをしていたのだった。PXで働く昌子を見初めた弥平は、昌子の親戚に探りを入れ綾子と前もって話をする機会を得ていた。
「野中のおばちゃん、昌ちゃんと是非結婚させて貰いたいとです」
「そぎゃんこと急に言われても夫に聞いてみんと分からんけん」
「もうすぐ北海道に転勤が決まっとるとです。結婚届を出してからでなければ、引越し費用や家族手当が出んとです」
「満州の和菓子屋で真面目に働いてたことは知っとるけんね」
「昌ちゃんば絶対に幸せにすると誓いますけん」
弥平の故郷佐賀県小城郡で結婚式を済ませた二人は、直ぐに北海道札幌市真駒内にある藻岩山陸上自衛隊基地の近くの三畳一間のアパートで暮らし始めた。昌子は結婚式の日が結婚記念日だと思い込んでいたが、老後になって役場から銀婚式の案内が来た時に初めて結婚届を出した日を知ることになる。二人の間にはすぐに娘が生まれ、生後1年になったころ、昌子の父弘の様態が悪化し、昌子は初めての里帰りをすることができた。
「昌子、幸せに暮らしとるとね」
「娘が生まれて幸せに暮らしとるけん、心配せんでもよかよ」
「みっちゃん、元気やったか? じいちゃん会いたかったとたい」
「お父さん、何で美津子って名前にしたと?」
「美しい海の子いう意味たい。お母さんと中国へ渡った時に船から見えたけんが」
その後間もなく弘は息を引き取った。享年54歳だった。
<了>
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