小説(三題話作品: さる はいてますよ パクリ)

シュガーロード3 by 御美子

シュガーロードへ
シュガーロード2へ

前回までのお話:1937年妻綾子を伴い、意気揚々と満州に向かった鉄道技師弘だったが、終戦後も6年間シベリアに抑留され、運よく帰国できたと思ったのも束の間、共産主義に思想転向したのではと懐疑の目で見られ、家族共々故郷を追われるように出て家族を養わざるを得なかった。
 
一方、満州で綾子が贔屓にしていた和菓子屋に奉公していた弥平も、ハルピンの難民避難所から奇跡的に帰国していた。行き場のない弥平は自衛隊に入隊し、綾子の娘昌子と出会い結婚する。昌子が弥平の赴任先の札幌から長女美津子を連れ、久留米の実家に帰省できたのは、弘が亡くなる直前だった。

 
弥平と昌子の札幌での新婚生活は甘いものではなかった。3畳一間のアパートにストーブまで設置すると更に狭いうえ、弥平は泊りがけの演習で度々帰宅せず、狭いアパートに昌子独り一日中居る日が続いた。しかし、子供が生まれてからの弥平は人が変わったように子煩悩ぶりを発揮し、美津子に弟が生まれる頃には、すっかり良い父親ぶりが定着していた。生活が落ち着くと、弥平は親族を次々と札幌に呼んで歓待した。中でも実の姉の節子が宮崎から来た時は尋常ではなかった。節子専用の鏡台まで新たに購入し、最高のもてなしをした。昌子はいくら実の姉弟でもおかしいと思ったのだが、後にその仲の良さの理由を知ることになる。
 
1969年、弥平は36歳になっていた。
「自衛隊を辞めて宮崎に行くことにした」
「そんな急に。何も聞いてませんけど」
「節子姉さんが是非来てくれと言ってるんだ」
「仕事はどうするの?」
「姉さんにあてがあるそうだ」
「美津子は?小学2年の1学期が終わったところですよ」
「姉さんが借りてくれる家の近くに小学校もある」
「そんなことまで決まってるんですか」
 
幼くして両親が次々に他界し、姉弟別々の親戚に預けられた節子と弥平には特別な思いがあった。当時小学校1年生だった弥平が泣きながら生家を振り返り振り返り去るのを、小学生だった節子は黙って見送るしかなかった。
「弥ちゃん、宮崎で仕事をすればいいじゃない、私が援助するから」
「ありがとう節子姉さん、頑張って必ず恩返しするよ」
 
節子は養父母の命令を断れずに泣く泣く結婚したが、婚家の旅館の女将業に専念してるうちに新婚旅行ブームに乗り、大金を自由に動かせるようになると、弥平を不憫に思い時々仕送りまでしていたのだが、このことは昌子には知らされていなかった。
 
女将として有力者に顔見知りが増えていた節子は、彼らを次々に弥平に紹介した。自衛隊時代にレーダーを担当し、電気系統に強くなっていた弥平は、その技術を使えないものかと考えていた。折りしも電機メーカーが次々と世界初の技術を発表し、節子の伝でS社のショップを任されることになったものの、経営素人の弥平は多額の借金だけを作ってショップをたたまざるを得なかった。
 
自宅を売って借金返済の一部とし、自宅兼仕事場を借り、官公庁相手の仕事をすることになった弥平は、この仕事でも姉節子の人脈のお蔭で、公的機関の電気工事の受注等をすることができたが、同業者と共存するため談合が定着しており、自分だけ儲けて借金を減らせるほどの売り上げは上がらなかった。仕事がマイペースで出来るようになって時間が増えた分、酒やたばこの量が増え、弥平の体を徐々に蝕んでいった。最初は胃の悪性腫瘍だったが、胃を全摘し回復の兆しが見えたものの、ストレスを紛らわすため酒を再び始めた為、肝臓に転移してしまった。肝臓の腫瘍部分も切除したが、体力は一気に落ちてしまった。
 
これと前後して、姉節子の旅館業の方にも陰りが見え始めた。宮崎への観光客は激減し、廃業する同業者も増えた。思い余った節子は
 
「弥ちゃん、今まで援助してきた分、少しでも返してくれない?」
「節子姉さんの紹介で始めた商売で借金があるくらいなんだよ」
と話は物別れに終わってしまい、これを機に姉弟仲が決定的に悪くなってしまった。
 
「私の目の黒いうちは旅館を諦めない」
と言っていた節子だったが、旅館を売らざるを得ない状況になっただけではなく、建物を取り壊して更地にしなければならなくなった。無念の思いで2007年節子永眠。享年79歳だった。
 
腫瘍が肺に転移した弥平の残された時間も少なくなっていた。唯一の楽しみはスイーツを通販で取り寄せることだった。
「諫早のおこしと大村の甘いゴマ豆腐が食べたい」
「食欲もないくせに、そんなにどうするんですか」
「死ぬ前にシュガーロードの菓子を全部ぱくりと食べたいんだ」
「何ですか、それ」
「江戸時代に出島から北九州まで砂糖を運ぶ道があって道沿いに菓子屋が出来たんだ」
「なんで諫早のおこしと大村のゴマ豆腐なんですか」
「佐賀の丸ボーロと小城の羊羹は親戚から送ってくるけど、他はないからな」
「あっ、ヘルパーさんがいらしたわ。こんにちは岩切さん」
 
弥平は入院を嫌い、自宅介護で昌子に世話をさせ、自宅にヘルパーを派遣してもらっていた。
「こんにちは。ご主人の具合は如何ですか?奥さん」
「昨日、買い物中で岩切さんに会えなかったけど、変わったことありましたか?」
「そうですねえ、私が目を離したすきに羊羹を食べすぎて吐いてますね」
「ほら、あなた。言わんこっちゃない」
「うるさい、もう長くないんだ、好きなものを食べさせてくれ」
 
最期まで妻昌子に我儘放題だった弥平は、家族らに見守られて息を引き取った。姉節子が亡くなってちょうど1年後だった。享年75歳。その傍らに長女美津子の姿はなかった。
 

シュガーロード番外編を読む