小説(三題話作品: さる はいてますよ パクリ)

シュガーロード/番外編 by 御美子

1987年、炬燵でテレビを観ていると、猿がヘッドホンをして、うっとりと音楽を聴く映像が流れた。未だに名CMと言われているが、弥平の眼には素晴らしいとは映らず、逆に苦々しい思いが蘇った。


自衛隊時代にレーダーを担当し、有線無線の電気系統に関する知識を身につけた弥平は、その技術を仕事に活かせないものかと考えていた。そんな弥平に目を付けたのが大手総合電機メーカーS社福岡営業所のA所長だった。S社は創業当時、米国のF社のような会社を目指して外国製品ををぱくり、日本初のテープレコーダー、トランジスタラジオと発表していったが、1960年代に入ると、直視型トランジスタテレビ、家庭用VTRビデオレコーダー、ICラジオと次々に世界初の技術を発表していった。1974年はS社が英国・米国にカラーテレビ組み立て工場を作った年で、宮崎市内には既にS社製品だけを売るショップが3件あったが、いずれも経営がうまくいかず廃業しようとしていた。


弥平は毎晩のようにA所長から宮崎の夜の街に呼び出され、高級クラブで高い酒を飲まされ、気分が良くなったところで
「あなたのような人に是非とも我社のショップをお任せしたいんです」
「商売をやったことがないんですが」
「大丈夫です。私が全面的に支援しますから」
などと言われて、その気になった弥平は廃業寸前の3店舗をすべて引き受けることにした。


自分の専門知識を活かせる仕事とあって、最初こそ張り切っていた弥平だったが、A所長は営業成績を上げる為に大量の商品を売りつけるだけで、フォローなど無きに等しかった。そのうち在庫がだぶつき始め、支払いが滞り始めると、弥平をなじるようにさえなった。
「弥平さん、困りますねえ。早く支払いをしていただかないと」
「営業成績が上がらないと泣きつかれて無理して仕入れた商品くらいは返品させてください」
「返品はできません。何とか売りさばくのが経営者ってものでしょう」
「あなたの言葉を信じて始めた商売なんですよ」
「メーカーの仕事は卸売りで、小売りは専門外ですからねえ」
「日本全国の小売業者に必要以上に商品を売りつけて、消費者には届いていないんじゃありませんか?」
「他の支店がどんな手を使ってるかは分かりませんが、何とか商品をはいてますよ」
「自分の営業成績だけ上がればいいんですね」
「生き残るために、どこのメーカーでもやってると思いますがね」
こんなやり取りが日常化し、いくらもたたないうちに資金繰りがつかなくなってしまった。A所長の方はというと、福岡での営業実績を認められて本社に栄転した後、音信不通となった。商売を始めるのは簡単だったが、廃業して後始末をするのがどんなに大変なことか、弥平はこの時、嫌というほど思い知らされた。


 残ったのは莫大な借金と苦い教訓だけだった。S社の件が一段落して周囲を見回す余裕ができると、大手企業繁栄の裏で弥平と同様の経験をした中小企業経営者達が世の中に溢れているのが見えてきた。


 1973年から始まった日本の安定成長期、中でも1986年~1991年は後にバブル期と呼ばれた。持たざるものには何の恩恵も無い時代が通り過ぎようとしていた。

シュガーロードへ
シュガーロード2へ
シュガーロード3へ