小説

EMIKOという名のおんな by Miruba



「恵美子と言う名の女」を先にお読みください。




あ、やっと気がついた!シェリー(あなた)、EMIKOが目を開けたわ!」


年配の女性の声に、目に映ったものが天井なのだと気がついた。




「もう一週間になるんだよ。先生がだめかもしれないと言ったのに、EMIKOよく頑張ったね」
聞き取りにくいイタリアなまりのフランス語だ。答えようとするが声にならない。


「日本大使館には届けておいたけれど・・EMIKOの家族からは誰からも連絡がないよ」気の毒そうに言う。


「まだ、はっきりしないんだろう?そっとしておいておやり。EMIKO、驚いただろう?君はラ・パリューにいるんだよ。パスポートを見たから君の名前を知っているんだ」年配の男性が言った。


2人とも白髪の髪をきれいに整えている。恰幅の良い年配の親切そうなスイス人らしき夫婦だ。
スイス人は、イタリア国境に近いスイス人はイタリア語を話し、それがフランス国境ならフランス語も出来るし、ドイツに近ければドイツ語を話すのだ。




「そうね、まだ目がうつろだわ。」そう言いながらも、そっとしておく気はないようだった。


「EMIKO凍傷した指がまだ動かないと思うからスープを飲ませてあげるわ」


抱き起こされ、口にスプーンを押し込まれた。
喉を通っていくスープは体中にエネルギーを伝達していくようだった。


「C’est bon・・・(美味しい)」自然に声が出た。




「あ、フランス語だわ。やっぱりフランスから来たのね?しっかりと放さないでいたリュックの中にフランスの滞在許可証があったからそうだと思ったわ。シェリー、EMIKOが‘美味しい'って言ってるわ。」


「聴こえているよ、そばにいるんだから」




「最初はね10口だけ。先生のお達しなの。もっとあげたいけど我慢してね。先生には電話して後できてもらうから。少し寝なさい」


そういって毛布を掛けながらベットカバーの上をポンポンと叩き、賑やかな2人の声が部屋から出て行った。




何故ここにいるのだろう。


記憶をたどり始めた。
そうだ。そうだった。
シャモニーモンブランに、スキーに来たのだった。




そうか・・・死ななかったのか。


私は深いため息とともに目を閉じた。




吹雪の中、でこぼこの雪山道を、ヘビのように動き滑り落ちていくスキー板を追いかける後ろ姿が、景色のように見えてくる。


私も追いかけようとしたが雪が深いので歩きづらい。
リュックが重く感じたので近くの木の枝に引っ掛けて、後を追った。


『まって、まって!』やっと追いついたとき、その先に道が無いのに気がついた。大きなクレバスだった。
勢いが過ぎて谷に落ちそうになった目の前のリュックを思い切りつかんだが、そのリュックを私の手に残し、山に響く叫び声を上げてEMIKOはクレバスに落ちていった。


私は助けようと途中まで降りたが、すぐ下に見えた彼女の体が、更に深く谷底へ落ちていくのを見て怖くなって這い上がった。


『EMIKO!EMIKO!』私は何度も泣き叫んだ。


誰か助けて。だけれど、吹雪のモンブランには、誰もいなかった。


その後、どうしたのか?不安と寒さに凍えたことしか思い出せない。






「EMIKO,先生がきてくださったよ」年配の女性がドアを開けた。


「ITO EMIKOさんですね?」


白衣は着ておらず、よれた背広に大きなドクターバックを下げた男の先生が聞いてきた。


私は深く息を吸い、「Oui(はい)」と答えていた。












2週間後、親切なスイス人の老夫婦に別れを告げて、私は「ITO EMIKO」として、フランスに戻った。
EMIKOは、大好きだったスキーで遭難し誰にも知られずに山に眠っている。


その2週間の間にフランスモンブランで観光客と思しき日本女性が行方不明になったようだとニュースで取り上げられた。
レンタルスキーの店長が映像で、「彼女はひとりだった」と話していた。偶然のことが重なっていた。EMIKOが一人でレンタルショップにいったのだった。
クレバスの近くの木の枝にリュックが残されていて中には「SASAKI AKANE」と言う名のパスポートがあり、上級者のコースを滑っていて過って進入禁止の場所に入り込んだのだろうということで、死体のでないまま日本の家族に伝えられたと報じられた。


私「SASAKI AKANE」はこの世から、いなくなったのだった。
予想はしていたものの、あまりにすんなりとコトが運ぶので恐ろしいほどだった。


私が少し離れたイタリア側で遭難者として民間人に助けられ、EMIKOが遭難してフランス側で捜索されたことで、当時外国人の遭難が重なったこともあり、共通の事件と思われなかったのだろう。


EMIKO、許してね。
あなたが雪の中から出てくるまでこのまま‘あなた’でいさせて。
だが、クレバスに落ちた場合、多くは発見できないという。


EMIKOのアパートにもどり仕事場に電話をして、「親戚のものだが、EMIKOは急に日本に帰った」というと、誰も疑うものは無かった。
私はEMIKOの滞在許可証で、郊外に新しい仕事を見つけ、住まいもパリの隣の県に変えて、新しい自分になったのだった。




だが『AKANE』という行き場の無い自分が開放された思いより、一人ぼっちの切なさが全身を襲ってきた。






私は何のために生きているのだろう。


EMIKOと私は偶然だったが姉妹のように瓜二つだった。
この数年深く付き合い会話を交わすことですっかり相手のことは知っているつもりだ。


激しい暴力を振るうDV夫から逃れてきた私と、日本での多額の借金を踏み倒してきたEMIKOは、極力日本人との接触を少なくして、パリの街でひっそりと暮していて誰にもとがめられることは無かった。




だが、ともにパリの空の下で心を交わしたEMIKOは死んでしまった。




他人に成りすましたところで、たとえDVの恐怖から逃げおおせたとしても、自分は自分で変わりようが無いのに。
少々変わり者ではあったが仲良くしてくれたEMIKOを、それがたとえ見つけることが不可能としても、冷たい雪の中に置き去りにしている現実は、言い知れぬ悔恨と寂寥を感じさせた。




夕暮れにそびえるエッフェル塔や放射状の道路をもつ凱旋門、画家の町モンマルトルなどパリの美しい街並みを眺める余裕も無く、私はレ・アールあたりのボワットドニュイ=酒場で酒におぼれていった。
やはり、EMIKOと一緒にこの世からいなくなればよかった。なんでひとり助かったのだろう。






生きる希望を見つけられず酔った勢いで何度も死のうとしたが、ドアノブに引っ掛けた紐は首にかけたら切れてしまうし、睡眠薬を大量に飲もうとしたら、薬局のお姉さんが薬を間違ったのか、私のフランス語がビギナー過ぎたのか、睡眠薬入りの花粉症の薬だったり。
手首を切ろうとしたら、流れ出る血を見て貧血を起こしてしまったりと、なんとも情けない私だった。








EMIKOの住んでいたアパートにふらり2ヶ月ぶりに行ってみた。
彼女宛の書類などが引越し後も数ヶ月は送られて来るはずなので、それを管理人に預かってもらっているのだ。
無愛想だが、親切な管理人が「日本にいるマダムITOは元気かね」というのに適当に言葉を濁し手紙の束を受け取った。


銀行の通知や社会保障の通知やダイレクトメールの中に、可愛いピンク色の封筒があった。
日本からだった。


手紙の相手が恵美子の知人なら、そのままにするのははまずいとかすかに思った。
私は封筒を開けてみる。


可愛い丸っこい字が目の中に飛び込んできた。


【お母さん、お元気ですか?


わたしは由美子といいます。中学生になりました。
わたしの名前はお母さんの恵美子という名前からもらったとお父さんが言っていました。


お父さんとも一緒に暮したことはありませんが、一年に一度顔を見せてくれました。
お父さんが3年前に死んだ後、先日シスターの施設長さんが病気になって天に召されるまえに、


『由美子ちゃん、まるで打ち出の小槌を振るように毎月あなたの貯金が増えているのよ。あなたが大学に行くときに使いなさい。
本当は教えてはいけないのだけれども、ご親戚か、もしかしたらあなたのお母さんかもしれないこの方は、きっと由美ちゃんに逢いたいのだと確信するから』と、送金先の住所を教えてくれました。


まだ顔も見たこともないのに、迷惑かもしれませんが、あなたは私のお母さんですよね?
ありがとうお母さん。


今までわたしはずっと自分がこの世で一番不幸だと思っていました。


でも、わたしを見守ってくれているお母さんが生きていてくれたなんて、本当に心から嬉しいです。
住所を知った日には喜びのあまり興奮して眠ることが出来ませんでした。




迷惑でなかったら、いつかお母さんに会いに、お母さんの住むパリに行ってみたいです。
それまでお母さん元気でいてください』




EMIKOに似た笑顔の可愛い女の子の写真が同封してあった。
私もEMIKOと姉妹のように瓜二つだったからだろうか、その女の子はどこか私の子供の頃の顔にも似ている、不思議。


_なんということだ。身寄りが無いっていったじゃないか_私は戸惑った。


だが、そうだった。
大好きだった恋人の子供を産んだことがあると、EMIKOが言ったのを思い出した。
死産だったと言っていたのは、ウソだったのか。


生きているのであれば、逢いたくないわけないじゃないか。
EMIKOはきっと何とか調べて居所をさがし、娘には知らせないで欲しいと施設長に頼んで仕送りをしていたのだろう。


また、こうしてやっと居所のわかった母親に手紙を書いた健気な娘のことを思うと、母親が死んだなどといえるだろうか。






一晩考えた。
窓から見えるパリの街が、朝靄に揺れている。
小鳥のさえずりがうるさいほど聴こえてきた。




送金が止まればおかしなことになる。
私は自分のうそが発覚する恐れというより、EMIKOの子供の笑顔のために、送金しなければならないという思いが、自分に新たな生へのエネルギーを与えてくれた気がした。




まだ、死ねないわ。
まだ、私にはやることがある。


急いで食事をし、EMIKOの娘由美子に送金するお金を稼ぐため、私は仕事場に向かうのだった。