大人も楽しめる新童話

ふたつの願い   by やぐちけいこ

願い事を一つ願うとしたらあなたなら何を願いますか?
これは小さくても大切な願い事をした捨て猫と独りが好きだったカラスの物語です。


   (1)
とある小さな町に流れる小さな川沿いに段ボール箱がポツンと置かれていた。
中には白黒茶にぶちに三毛と5匹の子猫。
そこ行く大人達はそんな子猫達を見て見ぬ振りで通り過ぎる。
子ども達も覗いて見るもののなかなか拾ってはくれない。
力を合わせて生き抜こうと箱の中で身体を寄せ合う5匹の子猫。
時々、パンや水を与えてくれる人間たち。
でも暖かい場所は与えてはくれなかった。


今は秋。
時折冷たい風も吹く季節。
5匹の子猫達は寄り添い暖を取る。
捨てられてから三日経ち四日経つ。
その頃になると心ある人間に拾われていく兄弟たちも出てきた。
最初に拾われたのはぶち。次に三毛とそれぞれ暖かい場所を見つけた兄弟達。


とうとう最後の一匹に。
残ったのは白。薄汚れて誰も見てくれない。
「にゃあ」と可愛く鳴いてみても暖かい場所にありつけない。
ある日カラスが子猫に声をかけてきた。
「よう。お前こんな所で何しているんだ?」
子猫の頭上をバタバタと飛び回る。子猫は初めて見たカラスに怯えた。
「けっ。情けない面しているなあ」そんな事を言いながらカラスは子猫の前で見せつけるように
持っていたパンを食べ始めた。
子猫は何も言わない。言えない。ただただカラスが自分に飽きてどこかへ行ってしまうまで静かに大人しく。
「くぅ。うまかった。しっかしつまんねえ奴だな、お前。口利けないの?」
そう言ってどこかへ行ってしまったカラス。
また独りぼっちになってしまった子猫。何か話せば良かったのだろうか。
お腹がすいたよ。寂しいよ。ただただ子猫は繰り返すしかなかった。
カラスが飛び去った後を見ると食い散らかされたパン屑があった。子猫はそれを食べて今日を何とか
生きながらえる。
 「にゃあぁぁ」
誰もいなくなった夕暮れ時。少し肌寒い。
どうして独りぼっちなの?僕はどうしたらいいの?夜は怖いよ。寒いし寂しいよ。
「にゃあにゃあにゃあ」
何時間も鳴き続けた白ネコはいつの間にか疲れて冷たい段ボール箱で眠る。
体を小さく丸めて眠る。そんな日がいつまで続くのか。




     (2)
カラスのオレは兄弟の中で一番の落ちこぼれだった。
生まれたのも5個の卵のうち最後だったし身体は小さく弱かった。
親の運んでくれる餌にもありつけないことも多々あった。
でもオレも他の兄弟に負けないよう必死に餌を貰ったさ。小さい身体は不利だ。
まあ、不利は不利なりに成長した。独り立ちも出来て万々歳だ。
独りは気楽。オレは独りが好きだ。


勝手気ままに過ごして2年が過ぎた頃、川沿いで段ボール箱の中で5匹の子猫が必死に身を寄せ合っているのを見つけた。
「あ~あ、捨てられたんだなあ。オレには関係ないけどねぇ」そうつぶやき段ボールのはるか上空をくるくる回ってそのままどこかへ行ってしまった。


数日後再び川沿いを飛んでいたカラス。段ボール箱を見つけて、そういえば子猫が
捨てられていたんだっけ、と近づいた。
箱の中には白ネコ一匹しか残っていなかった。
(うわっ、何だか弱々しいのが残っている。しかも汚いし)


「よう。お前何しているんだ?」気まぐれに声をかけたカラス。しかし返事は無い。
じっと見つめられて居心地が悪い。


(おいおい、そんな真っ直ぐな瞳で見るなよ。見透かされているようで落ちつかねえ)


「けっ、情けない面しているな」やっと声に出す事が出来た一言だった。
「ま、いっか。ここで腹ごしらえするか」ぶつぶつと独り言を言いながら持っていたパンを食べ始めた。


子猫の腹の虫がきゅるるぅと鳴った。


(こいつも腹すかしているのか。そんなに見つめられたらオレの体に穴が開きそう。食い辛い。
分かった、やるよ。半分やる)


「くぅ。うまかった。しっかしつまんねえ奴だな、お前。口利けないの?」
カラスは早々にここから飛び去ることにした。
「はあ。オレの飯・・・」
上空から子猫の様子を見ていたカラスは必死に自分の残したパンを食べる姿を見て何かしら放っておけないものを感じていた。




      (3)
次の日も子猫のもとにカラスがやってきた。
子猫は昨日と同じように段ボール箱の中にいた。
「まだ居る。おいっ、こんな所で何やっているんだよ」カラスが話しかけるが子猫は答えない。
「ちっ。まただんまりか。可愛くねえ」
カラスは子猫の前でまた餌を食べ始めた。
その姿を子猫はただただ見ているだけ。何も言わずに見ているだけ。
カラスは今回もまた半分だけ食べ残して飛び去った。
そして子猫は生きながらえる。カラスの食べ残しで生きながらえる。
そんな姿をはるか上空からカラスが見ているとも知らないで。
親の保護が必要な子猫に生きる術はない。
ただただ震える。怖くてどうしようも寂しくて震える。
それでも一日生きながらえた。
明日は少しここから出てみようか。


ねぐらに帰ったカラスはさっきの子猫を思い出す。
何も話さず自分をじっと見つめる姿がやけに印象に残る。
明日はどんな食べ物を持って行こうか考えながら眠った。
それが何を意味するかも気付かずに。




       (4)
子猫とカラスが出会ってから三日目は雨だった。
秋の長雨は降り出したらなかなか止まない。気温もどんどん下がる。
子猫は段ボール箱の中でただただ震えて雨が止むのを待つだけ。
意識がどんどん遠くなる。雨に体温を取られて体力も限界だった。
遠のく意識の中で黒い影と共に雨が止んだような気がした。
どこかで聞いた事のある声が聞こえた気がしたけれどそのまま意識を手放した。
子猫はほんわかとした温かい夢を見ていた。母親のぬくもりに包まれた幸せな夢。




      (5)
子猫との出会いから三日目の朝カラスが目を覚ますと雨がしとしとと降っていた。
「雨だ。濡れるのは勘弁」このまま寝て過ごす事に決めた。しかし眠気は一向に訪れなかった。
それどころか気持ちがざわついて落ち着かない。
「あぁ、もう!何でこのオレがあんな薄汚いネコが気になるんだよ!ちくしょう・・・」
どこにぶつけたら良いのかわからない感情そのままに子猫のもとへ飛んで行った。
子猫は小さく丸くなって箱の片隅で雨に打たれながらぶるぶると震えていた。
「おいっ。目を開けろ!」子猫からの反応は無い。それどころか命さえも危ない状態だ。
「こんな時どうすりゃいいんだよ!えぇっと、そだ。まずは雨を防がないと。寒いのか?寒いんだよな?」
おろおろとしながらも羽を広げて雨を防ぎ、子猫の身体に寄り添い体温を与える。
(はあぁ。オレ何やっているんだろうな)


ようやく雨が上がった。
にゃあ。
子猫の声が聞こえた。カラスは自分のしている事が急に恥ずかしくなり
「おっ、気がついたか。お前大丈夫かよ」
それだけ言うのが精一杯で慌てて飛び去った。
しかしカラスは心の中がぽかぽかするのを感じていた。
今まで感じたことのない気持ちを味わっていた。
そして明日も子猫に会いに行こうと思ったのだった。




      (6)
子猫が気がついた時に感じた温もりは雨がやむまで傘の代わりをしてくれたカラスの温もりだった。
いつの間にかカラスに対する恐怖心は無くなっていた。
そして子猫は生きながらえた。


この時を境に子猫は強くあろうと必死になった。
いつまでも震えているだけじゃだめだ。
鳴いて寂しいと訴えているだけじゃだめだ。
お腹が空いたらエサを探そう。寒かったら風を凌げる場所を探そう。


次の日カラスはそんな姿の子猫を見て何かを感じたようだ。
決して素直では無かったけれど子猫が生きていける力をつけるためいろいろ教え始めた。出来る事には手を貸さなかった。
ただ一つを除いては。


子猫はどんどん成長した。半年も経った頃、子猫は子猫じゃなくなった。
立派とは言えないまでも大人へと成長した。
もうカラスの手を借りなくても独りでも生きていけるだけの力を付けた。
カラスは自分の体とそう変わらない大きさの白ネコになっても止められない事があった。
これを止めてしまったら自分の中で何かを失うような気がして止められなかった。
そして今日もカラスは半分だけ自分の餌を残して飛び去った。残された餌は白ネコがこっそりと食べる。
カラスが飛び去るのを見届けてからこっそりと。それを上空からカラスは見守る。




      (7)
白ネコとカラスが出会ってから一年が経とうとしていた。
その頃からカラスは自分の体調の悪さに気づいていた。
カラスは白ネコの元へ行く回数が日に日に減っていく。
真っ直ぐに飛べない、飛ぶと胸が苦しい。
そんな中、一週間ぶりに白ネコの元へ行った。餌を食べて飛び立つだけの行為。
それすらも必死だった。今回も半分だけ餌を残して飛び去る。


苦しい。もう飛び続けることが出来ない。限界だった。
気がつけばそこは初めてカラスが白ネコに出会った場所。


「あぁ、懐かしいな」


そこに段ボール箱はすでに無い。
カラスは空から落ちるようにそこに降りた。再び飛び立てる体力は残っていない。
だんだん意識も遠くなる。
そんな中考えるのはやっぱり白ネコの事。勝手に世話を焼いて勝手に幸せを感じていた。
自分のために白ネコに関わった。
白ネコといると楽しかった。
自分が必要とされているようで嬉しかった。
もう自分はだめだろう。だけど白ネコは独りでもしっかり生きていける。
そう思うとやっぱり幸せだった。
心は満たされていた。
気になるのは自分の死をどう思うだろう。
突然いなくなった自分を心配してくれるだろうか。忘れてしまうだろうか。
それでも構わない。白ネコが生き続けてくれるなら。


『どうかあの子が幸せでありますように』


眠るようにカラスは目を閉じた。風がカラスの身体を撫でつける様に労るかのように吹いていた。




      (8)
白ネコはカラスの姿を最後に見た日、なぜか不安を覚えた。
いつもと変わらない風景だったのに何が違ったんだろう。
飛び去る姿をいつまでも目で追っていた。
白ネコはとうに気づいていた。初めて雨に降られて震えているしかなかった自分。その時に気がついた。
カラスがわざと餌を半分残していく理由。でも何故自分で餌を捕れるようになってからも続いているんだろう。
カラスは何も言ってはくれない。


カラスが現れない。昨日も今日も。どうして?そんなことを考えているうちに一週間が過ぎ十日が過ぎる。
とうとう1カ月が経ってしまった。
白ネコはカラスを探した。探したけれどどこにもいなかった。来なくなった理由を白ネコは知りたいと思った。
何故何も言わず現れなくなったのか。
少しずつ探す範囲を広げ、気が付けば自分が捨てられていた場所にたどり着いていた。
探し始めて半年。やっと白ネコはカラスを見つけた。


白い骨になってしまっていたカラスを。


白ネコは「にゃあ」と一言だけ鳴いた。
その夜カラスの傍で眠った。次の朝白ネコはそこにいなかった。
夜になるとどこからともなく現れてカラスの傍で眠る。
カラスは独りで寂しくなったのだろうか。寒くなかったのだろうか。何故独りで逝ってしまったのだろうか。
何故自分は気づいてあげられなかったのだろうか。独りの寂しさを誰よりも知っていたはずなのに。
白ネコは願った。空に向かってどうか一つだけお願いを聞いてと。


『ありがとうと伝えて。僕は幸せだったと伝えて』


白ネコは空に向かって一声だけ鳴いた。
そして今夜もカラスの傍で眠る。    
                            了