♪別れのサンバ <このページの下のyoutubeでお聴きいただけます>
「オレって、こんな酷いめに遭うほど、何悪いことしたのだろうか」
また始まった。
暫らく愚痴を聞かなくてはならない。
グダグダと女々しい言葉を毎日聞かされるこちらのほうがうんざりだ。
運命を呪ったって、現実を受け止めなくちゃ仕方がないじゃないか。
「悪いけれど、私これからレッスンだから行くね」そう言うと。
「え?今日は休みじゃなかったの?そんなに練習したからって、世界チャンピオンになれるわけでもないのに」
私は正樹の皮肉を聞き流して、留守の間彼が困らないように食事の仕度とコーヒーを入れる。
「じゃ、行くわ、遅くなるから寝ていてね」私は彼の頬にキスをした。
「ね、千恵、今日は休んでよ。なんか熱っぽいんだ」
彼のつぶやきを聞こえないふりして、急いで扉を閉じた。
練習場では「リーダー」(社交ダンスの男性用の呼称・女性は「パートナー」)がストレッチを始めていた。汗をかいている、かなり長い時間準備運動をしていたのだろう。
「遅くなってすみません」と言って急いで支度をする。
リーダーは、パートナーさんが産休に入ったために、臨時に私と組んでいた。ダンスの世界では、あちこちで行われるコンペに常に出場し、成績を残さないと持っているランクを下げられてしまう厳しいシステムになっている。リーダーは長いことA級選手なので、パートナーさんが出場できないのを待ってはいられなかったのだろう。
「カップルを組みませんか?」と声をかけてきた。
私もまた、リーダーであった正樹の病気で競技に出られなくなっていた。
社交ダンスの殿堂、イギリスのブラックプールで踊ったことを思い出す。
彼は素敵に踊ってくれたものだ。世界の強豪の中で2回戦どまりだったとはいえ、一落ち(一回戦敗退)でなかったことが私達に自信を与えてくれた。
なのに、一年前彼は突然目が見えなくなった。網膜はく離だった。
結婚していたわけではなかったが、私達は同居をしていたし、彼の病気を理由に別れるわけにはいかなかった。
さりとて、ダンスを止める気にはなれず、悶々としていた私に、今のリーダーのオファーは、一時的な代役とはいえありがたかった。
「ね、悪いんだけどさ。練習にはもう少し早く来てくれないかな。コンペまで時間がないし、貴女は股関節が硬いから、準備運動はしっかりやってほしいんだよね」
全てリーダーのいうとおりなのだが、優しさの感じられないその言い方に言葉が詰まった。
だが、踊りだすとリーダーは機嫌がいい。
「いや~、うちのパートナーさんより、はるかに音のタイミングが合うんだよね。貴女のリーダーさんは貴女がいたから良い成績だったと思うよ」
歯の浮くようなお世辞も、言われたら気分がいい。リーダーのボディーから聞こえてくる音楽と、実際に聞こえる音楽と、自分の表現の音楽を調整しながら、リーダーの微妙なリードに全神経を傾ける。
床に対する足の使い方が同じで嬉しくなる。正樹とはいつも喧嘩しながら練習をしていたので、ロジックな説明をしながら二人の踊りを仕上げていく今のリーダーの踊りにすっかり惚れ込んでしまう私だった。
結果もついてきた。成績はフルチェックが入るほど調子が良くて、リーダーは正式なパートナーにしたいといってくれた。産休に入っている奥さんは産後踊るつもりでいたようで、少しもめたと聞く。
「大丈夫なのですか?奥さん踊りたいのではないですか?」
「いいんだよ。彼女は僕より年上だからね、もうそろそろ引退時期なんだ。子育てすればレッスン時間も無くなるよ。貴女の踊りのほうが僕にあってるしね。」
リーダーと私は少しずつ、自分達の踊りを高めていった。理論的なリーダーと突き詰めて考えないと気のすまない私は、ダンスの話になると何時間でも一緒に過ごすことが出来た。そのために、どうしても練習時間が長くなり、その後のアフターも喫茶店から居酒屋へと移行し、駅まで向かう途中に公園でもあれば、またホールドして踊りを確認しあったりするのだ。
「こんな時間までなにやってたんだよ!本当に練習だけなのか?」
同じダンスをやってきて、解っている筈なのに、正樹の言いがかりが激しさを増してきた。
「変なこと言わないでよ。バックフェザーが上手くいかないから練習してきただけよ。あなただって下手だったじゃないの」
「ああ、どうせ、オレは踊れないからな。おまえは自分がキチンと体重移動も出来ないくせに、出来ないのはいつもひとのせいだよな」
「今のリーダーさんは、ちゃんとわかってくれるわよ、あなたと違ってね!」
売り言葉に買い言葉。虚しく傷つけあうことに私達は疲れた。
学生のころから一緒に練習をしてきて、アマチュアからプロに転向し、お教室のスタッフとして共に頑張ってきた。サークルなどにも力を入れてきた私達だったが、踊れないとなれば、かえって人間性が際立って、お互いに鼻持ちなら無い箇所が浮き出てくる不思議。私達は、結局、別々に暮らすことを選んだ。
別れの朝、すでにまとめて正樹の田舎に送ってしまった荷物のせいで、部屋はガランとして見えた。これで最後だと思うと、いさかいで嫌な思いをした事はみんな消えて、優しかった正樹の言葉が心を通り過ぎる。だが、これでいいのだ。
私達は、モーニングティーでお別れの乾杯をした。
東京駅まで送る。白い杖の正樹は、ダンスをしていたからか、短時間で介助が必要の無いほどに真っ直ぐ歩けるようになっていた。駅にはお父さんが迎えにきていた。
新幹線に乗る正樹。
見えないはずなのに、私のほうを見て、手を振った。
私も、手を振る。
「さようなら」
これで、正樹の愚痴を聞かずにすむと思いながら、どこか心を冷たい風が通り過ぎた。
私は全ての時間をダンスに打ち込むようになっていた。
だが、年齢を重ねていくと、若い選手達に座を奪われるようになる。
どんなに努力しても、超えられない先天的な肉体の美とか新しいセンスに阻まれた。
リーダーも私もあせっていた。
練習時間は益々長くなり、休みなど無かった。休む気にもなれなかったのだ。
長く練習すれば良いというものではないことは解っていたはずなのに。肉体の疲労に思いが至らない。
そんな時、事故は起きた。
練習中にクイックステップで、足り過ぎて二人で倒れこみ、私は脚を複雑骨折してしまった。リーダーも手首を折った。
どちらかのせいでもないし、二人のせいでもあった。無理をしすぎたのだ。
入院してすぐに、リーダーが奥さんと見舞いに来た。
私の怪我が復帰に一年は必要だというので、カップルの解消に来たのだ。奥さんがまた踊るという。手首はテーピングで何とかすると言う。
ランクを落とすわけにはいかないリーダーのプロとしてのあせり思えば、仕方がないとはいえ、私は悔しさに涙した。
何が悔しいのか、自分でもわからない。
復帰を待ってくれないリーダーに文句を言いたいのか、やっと気心が知れてきたリーダーを奥さんに取り戻されるのが悔しいのか、踊れない自分が腹立たしいのか。
3ヶ月の入院を経て、その間3回の手術をこなし、漸く自宅に戻った。しばらく姉の助けを借りたが家族のある姉をいつまでも引き止めて置けない。松葉杖を操りながら、一人で過ごしていた。
「私って、こんな酷いめに遭うほど、何悪いことしたかしら」
一人、つぶやいていた私は、ふと、正樹のことを思い出した。
そうだった。彼も同じことを言っていた。
私は初めて、正樹の辛さを真に理解した気がした。
携帯が鳴った。
数年ぶりに聴く正樹の声だった。ダンス仲間に伝え聞いたのだろう。
「千恵、大変だったね。無理するんじゃないよ。オレね、ブラインドダンス(視覚障害者のためのダンス)やっているんだ。いつか、踊ってくれないか」
ああ、なんてことだ。
こんな我が侭なだめな私を、気遣ってくれる人がこの世にいたなんて。
正樹の優しい声に、心が温まってくるのを感じた。
そうだ、ダンスの楽しみ方には色々ある。
ゆっくり楽しむダンスだって、あっていいのだ。
私は、杖を持たず、足を引きずりながら仕舞い込んであったダンスシューズを取り出して、磨き始めた。
写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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