Mirubaのワルツィングストーリー

こそあど言葉の上達 by Miruba

♪ale ale ale <このページの下のyoutubeでお聴きいただけます>

「あらやだ、何でここで降りたんだっけ」
駅のホームに降り立った私は携帯のメモをみる。


そうだった。
携帯電話の通信料があまりに高額だったのでショップに料金の確認に行くんだっけ。








一時間後ショップを出て、私はカフェの窓際に座っていた。


人がひっきりなしに右に左へと行き来して、都会の躍動を感じさせてくれる。
それでいてカフェの中はゆったりと静かに流れるクラッシックの音色が、
全く別の空間を作っていた。馥郁としたコーヒーの香りと温かさが喉を癒す。
私の一番好きなシチュエーションだ。


—なんの役に立つのかしら—と思うほど小さくて可愛いフリルのついたエプロンをした女の子が注文をとりに来る。


「ホットだけど、ほら、あるじゃない。あの〜お薦めのやつ、
いや<マイルド>じゃなくて・・ほら、あるじゃない。そう、それそれ、
<キングアーサー>ひとつ頂戴ね」


もう、これだもんな。
私は、改めて深いため息をついた。




携帯ショップに料金の不正請求ではないのかと、怒りを露わにして直談判に行ったのに、実際私が電話をしているという履歴データを見せられた。


その用紙を見て少しうろたえながらも、相手先の履歴電話番号が親友の昌子だったので、
『あら、じゃあ簡単。彼女に電話すれば、私が電話していないことがわかるからね。』
と鬼の首を取ったように得意げに昌子に連絡を入れたら、なんと昌子が言うには、私と最近はよく電話でしゃべる。その日も確かに話をしたじゃないの。との事なのだ。


ええ?!ウッソォ・・・ん〜〜言われてみれば、そうか、
そういえばそういうことがあったかな。と急に思い出す。
でも、2時間も話していて、今まで忘れてるなんて・・・
それも一回や二回じゃないのだ。


私は突然自分が「クレーマーのおばさん」でしかないのに気がついて、
入ったときの態度の10分の1ぐらいに縮こまって何度も詫びをいいながらショップを後にしたのだ。
バカバカ自分!なんでショップに行く前に思い出さないのよ。
お陰で赤っ恥じかいたじゃないのさ。と自分で自分を叱ってみても、虚しいだけだ。


「は〜っ」私はまた、ため息をついた。


そういえば、最近やたら忘れ物が多いとは、感じていた。
だからメモをする様にしていたのだ。
仕事をしていても、会合の日にちを忘れたり、部下の報告が無いのを責めたら
『報告はしました』と責任転嫁してふてくされることがあって、
「今の若い人は全く」とあきらめ、今では、全てメールで報告内容を送るようにしてもらっているが、あれってもしかして、むしろ私のためになっているのかも?
人生を100年としても(長すぎるか?)半分過ぎたばっかり。まだボケる年じゃないわよ私。










コーヒーを飲み干そうとして、カフェのガラス越しにこちらを見ている人に気がついた。
「あ、こんにちは」と笑顔で挨拶している。
誰に挨拶しているのかしら?私は周りをさっと見回したが、誰もない、
ということはさしずめ私に挨拶しているんだな、この人。
誰だか知らないが、私は仕事関係の人だろうと思い、満面の笑顔で「こんにちは」と会釈した。


その人は、きびすを返し、このカフェに入ってきた。


ええ、やだ。誰だか覚えてないわ。困ったな。
記憶の襞からその人の情報が出てくるまえに、私のテーブルまで来ちゃった。しかたがない。


私は、名刺を取り出し「お久しぶりです、奇遇ですね。最近名刺を新しくしたんですよ。改めてお宅様のも頂いていいですか?」
その人が何か言おうとするのを遮って「お名前なんでしたっけ?」と続けてきいた。


「あ、高橋さん」私は、内心しめしめと思った。
「いえいえ、高橋さん、苗字は存じ上げていますよ。下のほうのお名前何だったっけな〜と思いまして。」


私が良く使う手なのだ。これなら、最初から「高橋さん」という苗字を忘れていたのではなく、名前を忘れたのだと思ってもらえるだろう。相手を思い出せないときの失礼にならない聞き出し方なのだ。
もっとも、一回しか使えないが。


高橋さんは、私の名刺を受け取って、座りながら言った。
「それって、何かの冗談ですかね」


やばい、この手は2回目だったのかしら?不機嫌そうな、悲しそうな
顔になった高橋さんをみて思った。


「ごめんなさい。正直に言うと、すっかり忘れてて、
何処でお会いしましたっけ?講演会?法人会でした?」


「いい加減にしてくれないかな。そんなに私と話すのが嫌ですか」


ひえーーっ。だめだこりゃ、私は落ち着いて思い出すべく、
「すみません、ちょっとお手洗いに行っていいですか?」と、バックを持って立ち上がったときに、グラリとした。


ぎゃ!いったーーーっ頭が痛い、目が回る〜〜なになに?
私は割れるような頭の痛みに襲われた。
耳の向こうで、私の名前を呼ぶ声がした。高橋さんの声だ・・・なんか懐かしいかも・・・




真っ白の天井が見えた。
どうしたのかしら私。


「気がついたんだね、よかった。今先生を呼んでくるね」
声のするほうを見た。


「あら、あなた、来てくださっていたの?私、どうしたのかしら?」


「『あなた』か〜、高橋さんって言われるかと思ったよ」
大昔別れた元旦那が、私の顔を覗き込んで笑った。




退院のとき、高橋さん、うふ、元旦那が来てくれた。
なんでも、私は頭を何処かで打った時に、血腫が出来ていたのに気がつかず、
「慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)」という長ったらしい病気になっていたらしい。
徐々に血腫が大きくなって、一種健忘症を引き起こしていたというのだ。


あ〜よかった。若年性認知症だったらどうしようと思っていたので、これで少しは大丈夫だ。
・・・と、思う。
絶対大丈夫ってわけでもないだろうが。
だって、これ?それ?あれ?どれ?って、相変わらずなんだもの。


でもね、もうきっと忘れないと思うわ、『高橋さん』のことは。
<了>


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